寒くなってきましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。ふぇみ・ゼミTAのAYです。
ご報告がすごく遅くなってしまいましたが堀口典子さんをお招きし「強靭な乳白色の日本の身体:1950~1960年代を中心に」をテーマにゼミが開催されました。
「牛乳」を切り口に、日本の帝国主義、日本と西洋諸国との関係、牛乳と天皇家との関係、また牛乳のメディア表象など多岐に渡るお話を聞くことができました。
印象に残ったことを書いていきたいと思います。
牛乳がいかに消費されてきたか歴史的変遷を追うことで、個人の体が国民化・ジェンダー化していく過程を知ることができました。明治以前は天皇家など限られた人にしか消費されなかった牛乳ですが、明治に入ると西洋化することが近代化とされ、牛乳の高い栄養価が謳われるようになりました。西洋では毎日牛乳が飲まれており、牛乳を飲むことで「日本人」として恥ずかしくない身体になれると言われました。日本が西洋諸国と自己同一化していく様子が伺えます。この頃から牛乳は様々な階層に広まっていったようです。
雪印の企業理念と国体の思想との結びつきの話がありました。国土と母体を同一と考え、母体を立派にすることが立派な「民族」になると考えられるなどナショナリズムとジェンダーの交わりを感じました。
天皇家と牛乳の関係では、題材として当時の皇太子であったアキヒトと伊藤絹子の写真を見ました。伊藤絹子の神のような身体は、当時アメリカナイズされながらも日本的で民主的であることをあらわし、また健康や強さ、ひいては日本再建を体現していました。
さらに映画『牛乳屋フランキー』を題材にメディア表象についてお話がありました。『牛乳屋フランキー』の主人公フランキーは、性的に攻撃的で暴力的な太陽族に対抗し、誠実で温厚なキャラクターとして描かれました。牛乳を通して世代間対立の和解を手伝ったり、女性が牛乳風呂で美しくなるのを従順に手伝ったりしました。フランキーが牛乳瓶を体に巻きつけているシーンは、一見爆弾に見えるため、健康と平和を象徴する“武器”として牛乳が描かれたのかもしれません。
牛乳はわたしにとっても大変身近なものです。というのも、実はほぼ毎日飲んでいるからです。牛乳パックに書かれた言葉を思わず振り返ってしまいました。
牛乳をめぐる言説や表象を通して、日本の帝国主義、天皇制、日米関係、政治などについて考えを深めることができ、大変実りある時間になりました。
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講師:堀口典子さん(テネシー大学准教授)
テーマ:「強靭な乳白色の日本の身体:1950~1960年代を中心に」
日時:10月30日(水) 19:00~21:00
概要:堀口典子さんは、テネシー大学にお勤めの日本文学研究者で、植民地後の状況、ジェンダーなどの視点で、林芙美子などを素材に帝国主義下の、内地、植民地、占領地を移動する日本人女性の表象などの研究をしてこられました。
ふぇみ・ゼミでは、国策として導入された「牛乳」の表象に最近は関心をお持ちとのことで、1950-60年代を中心に、映画「牛乳屋フランキー」などを参照しながら、牛乳の表象とジェンダー・セクシュアリティの問題を冷戦の社会・経済・政治的文脈の中でお話くださるとのことです。
<関連書籍>
映画と身体/性
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