昨日、大阪府北部を中心に発生した地震で被災された皆様に、心よりお見舞い申し上げます。
さて、先週6月13日は、ふぇみ・ゼミ第3回でした。
講師は、運営メンバーの飯野由里子さんです。
まずは、前回に続きましてTA感想リレー。2回目の担当はTAのAです。↓↓
まずは、前回に続きましてTA感想リレー。2回目の担当はTAのAです。↓↓
運営メンバー内で「やればできる私たち」のワードが飛び交うほど、今までで一番スムーズに用意が済んだ第3回。
飯野さんご自身の、クィア/フェミニズム/ディスアビリティ領域との出会いに始まり、前回同様、大盛り上がりのふぇみ・ゼミでした!
そもそも、産むよう期待されていることに抵抗し、産まない生きたかを選ぶ、と述べる女性たちと、「産まないはず」「育てられないはず」と産むことを期待されず否定されてきた女性たちの間には、決定的な違いがあります。
そのような違いへの気づきが、フェミニズムとディスアビリティが交差する瞬間でした。
そのような違いへの気づきが、フェミニズムとディスアビリティが交差する瞬間でした。
また、障害女性のケアを担う側面は見過ごされがちで、障害者はケアを受け取る人だという「誤認」を多くの障害女性が日常的に経験しています。
これは、車椅子で幼い娘たちを連れていたキースさんが、「あなたたちはママの面倒をいつも見ているいい子かしら」と声掛けされた際に反論した、ハッとするようなエピソードからもよく伺えます。
これは、車椅子で幼い娘たちを連れていたキースさんが、「あなたたちはママの面倒をいつも見ているいい子かしら」と声掛けされた際に反論した、ハッとするようなエピソードからもよく伺えます。
私自身も、「自分もどこかで障害者を依存的な存在とみなす態度をとっていないか」常に自己内省を繰り返すことが大切で、またそうせざるを得ないのだと思いました。
誰もが常に誰かかからのケアを受け、ケアをしています。
その一方で、障害者を他者化せず、かつ障害者と非障害者の間に、障害者同士の間にも違いがあることを決して忘れてはいけません。
その一方で、障害者を他者化せず、かつ障害者と非障害者の間に、障害者同士の間にも違いがあることを決して忘れてはいけません。
つまり、「共通性・普遍性を主張しつつ、差異に対して敏感であり続ける」ということが、今回のゼミで得たメッセージです。これに自分はどう向き合うのか、考えられさせます。
まさにふぇみ・ゼミがテーマに掲げる「インターセクショナリティ」に、重要な視点を学びました。
私は、充実した飯野さんのお話と質問の盛り上がり、それから提出期限が翌日に迫った未完のレポートに、胸のドキドキが治らないまま帰路を辿りました。
これからも参加者の皆さんと一緒に、より豊かなコミュニティを創り上げていきたいです。
これからも参加者の皆さんと一緒に、より豊かなコミュニティを創り上げていきたいです。
今回のゼミ情報は、以下の通りです。
飯野由里子 (いいの ゆりこ)
研究センター勤務。多様性と社会正義に関する教育コンテンツの開発・実施に従事する傍ら、フェミニズム理論、障害理論、クィア理論を行ったり来たり、くっつけたり混ぜ合わせたりする研究をしています。
講義テーマ:フェミニスト・ディスアビリティ研究とは何か?
「障害のある女性は、障害のない女性(や障害のある男性)とは異なる経験をし、異なる視点から社会を見ている」。こうした気づきから始まったフェミニスト・ディスアビリティ研究が提起している課題について考えます。
参考文献
瀬山紀子「声を生み出すこと––女性障害者運動の軌跡」石川准・長瀬修編(2001)
『障害学への招待』明石書店pp. 145-173
『障害学への招待』明石書店pp. 145-173
それでは、次回のご参加もお待ちしております!
過去のゼミを映像で見たい方、何か理解や発言にサポートが必要な方は、ふぇみ・ゼミのメールアドレス(femizemi2017[a]gmail.com ※[a]を@に変えて送信)までご連絡ください。
過去のゼミを映像で見たい方、何か理解や発言にサポートが必要な方は、ふぇみ・ゼミのメールアドレス(femizemi2017[a]gmail.com ※[a]を@に変えて送信)までご連絡ください。