こんにちは。TAのYAです。
蒸し暑い日が続いていますがいかがお過ごしでしょうか。
わたしは暑い日は持ち歩きの扇風機を使ってしのいでます。
さて、7月28日は山本めゆさんをお招きし、「性暴力被害者の帰還はいかに危険視されたのか-引揚港における中絶の実施に注目して-」というテーマでゼミが行われました。
1946年春に朝鮮半島や満州からの集団引揚げが行われた際、引揚港で引揚女性の中絶が行われました。
従来、堕胎罪で捕まる恐れもかえりみず、現場で身を削って中絶をした医師などの献身が注目されてきました。
しかし、国土の外縁とも言える引揚港に妊娠や性病に罹患している女性を迎えるための施設が、検疫の一貫として設置されたことが軽視されてきたのではないでしょうか。
どのような背景から中絶が行われたのかを学ぶゼミとなりました。
引揚港は引揚船に乗った人々が始めに着く場所です。日本の領域、「日本人」とか誰かが問われる日本の再編の最前線、国土の外縁とも言うべき場所です。
その場所に、検疫業務の一つとして厚生省主導で中絶を想定した婦女子のための相談所が開設されました。
約1割の人々が日本以外で敗戦をむかえ、国外で難民化した日本の人々は病死や暴力で亡くなることもありました。また、性暴力も多発しました。その結果、性病に罹患したり、妊娠した女性たちがいました。引揚港で性暴力被害者に向けられたまなざしとはどのようなものだったのでしょうか。
性暴力被害者は性病と「混血児」の脅威とみなされました。
「混血児」は宿した女性よりも加害者を想起させるとのことで憎悪の対象となりました。まなざす人々の側で「日本人」ではないと人種化されました。
また、引揚げは復路にあたりますが、一方で入植という往路があったことも忘れてはならないとお話がありました。
往路と復路、両方を見ていくことが大切であり、そのことをどう語り継いでいくべきかがわたしたちの課題なのかもしれません。
質疑応答では、戦争と性暴力の関係について、また性暴力被害者の語りについてなどのディスカッションが行われました。
充実した講義と時間が足りなくなるほどの活発なディスカッションで、とても刺激的なゼミとなりました。
そして、ゼミのあとは、アフターパーティーとしてゼミ受講生による企画を行いました。
ふぇみすごろく(?)と呼んでいいのでしょうか。参加者自身が自分の体験を画用紙に書き、それを床に並べて円にします。各人が決めた◯マスすすむ/◯マス戻る、またはサイコロで出した数の分だけ、マスを動かし、書いた人が発表します。
個人的な経験を発表しているのですが、社会ととても繋がっていることを感じました。
まさに「個人的なことは政治的なこと」を感じるワークショップでした。
前期のゼミ、お疲れさまでした。
会場で参加していただいた方、配信から参加していただいている方、また応援してくださる皆様、後期もどうぞよろしくお願いします。
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講師:山本 めゆ(やまもと めゆ)さん 京都大学にて研究員・非常勤講師、専門はレイシズム研究、移民研究、社会学。初めて二日市保養所跡を訪問した際、そこに据えられているのが水子供養塔と医師の献身を顕彰する「仁の碑」のみで、女性たちの足跡を刻んだものがないことに驚き、その衝撃と疑問がこの研究の出発点になっています。
テーマ
「性暴力被害者の帰還はいかに危険視されたのか」
1946年春に始まった朝鮮半島や中国大陸からの集団引揚げは、性暴力サヴァイヴァーの帰還でもありました。「異民族」に強姦された/性的な接触を持った女性たちを、日本の引揚港はどのように迎えたのでしょうか。本講義では、引揚援護局の史料等を利用しながら、「彼女たち」の身体がいかに危険視されていたかを検討するとともに、これをフェミニズムの問いとして引き受けなおすことを目指したいと思います。
推薦図書
レギーナ・ミュールホイザー著、姫岡とし子監訳、『戦場の性ーー独ソ戦下のドイツ兵と女性たち』岩波書店(2015)