段々と冷え込みますが、みなさん体調など悪くされていないでしょうか?(私はここ数日で、湯たんぽを入れ始めました。)
更新が遅くなってしまいましたが、先日は松波めぐみさんにお越し頂き、特別講座「障害の社会モデルとジェンダー~障害女性にとって社会的障壁とは~」が開かれました。
以下TAのHによる感想リレーです。
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松波さんは、これまで長年に渡りご自身がなされてきた活動を辿りながら、その中で考えてきたことについてお話ししてくださいました。元々は人権教育に関心を持ち大学院に入られ、その直後に「障害学」と出会われたこと、後には介助者としての実践にも携わるようになられたこと、フェミニズムやジェンダーの視点と向き合うようになられるまでには更に時間があったこと、「障害者権利条約」への関心から国連の会議へ傍聴に向かわれたこと、2008年頃から京都府における障害者に対する差別禁止条例の制定へと向けた運動に携わることになられたこと、などなど。
研究者というよりは実践家であり教育者であるとご自身を紹介される松波さんが、「障害学」への関わりはある意味では趣味のようなものだと仰られつつ、ただ何よりも「障害の社会モデル」の考え方がもっと広がればいいと感じている、それが広がれば、少しずつかもしれないけれど、社会が変わると感じている、とも仰られていたのが、私にはたいへん印象的でした。
また、80年代イギリスの障害学の中で提起されていた「障害の社会モデル」と「ジェンダーの視点」の類似性という論点を紹介くださると同時に、では「障害のある女性が直面する困難の原因は?」という大切な視点を、「複合差別」という切り口から取り上げてくださいました。障害者運動において障害当事者の女性が抱える特有の困難があるということ、あるいは逆に、フェミニズムにおいて不可視化されてしまう障害者の問題があるということ。こうした問題について考える機会が持てたということは、ものを「学ぶ」上での大きな一歩だと感じました。しかし同時に、松波さんご自身の経験を交えたお話は、(カッコつきの)「運動」や、あるいはより日常的なものの中で、具体的な矛盾に直面しつつ、葛藤を抱えながら模索し続けることについても考えさせてもらえるものでした。
お話の最後では、旧優生保護法下で行われていた「強制不妊手術」に対し、今年になって日本政府を相手に訴訟を起こした女性の話についても触れられました。当事者の女性が声をあげ、世論が喚起させられ、問題が社会に突きつけられる。しかし、それはかつてから公然と「暗黙の了解」とされてきたことでもあって、声をあげた女性の背後には、多くの声をあげられなかった障害を持つ女性たちがいたはずです。この提訴自体は画期的な出来事であると同時に、歴史的な問題でもあり、歴史の堆積としてある社会の問題でもあり、その上でいまを生きる私たちに強く突きつけられている問題でもあるはずです。そこで、私たちに何ができるのか。声が届き、知ってしまったからには、問いを手放さずにいたいなと思いました。
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松波めぐみ(まつなみ めぐみ)
大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程単位取得退学(生涯教育学)、(公財)世界人権問題研究センター研究第五部(人権教育)専任研究員を経て、現在、立命館大学生存学研究センター客員研究員。大阪市立大学、関西大学、龍谷大学ほか非常勤講師。主な著作に「障害者権利条約ーー『同じ』権利を実現するために」(『地球市民の人権教育ーー15さいからのレッスンプラン』解放出版社、2015年)、「障害をもつ女子の『ジェンダー化』と教育」(『ジェンダーで考える教育の現在』解放出版社、2008年)など。講義テーマ :
フェミニズム・ワークショップ「障害の社会モデルとジェンダー~障害女性にとって社会的障壁とは~」
障害者が直面する困難の原因を、身体の解剖学的特徴ではなく、健常者中心社会が設けた障壁に求める「障害の社会モデル」の考え方は、もとよりジェンダー概念と類似している。障害女性が経験する困難の背後には障害者差別と性差別が複雑に絡み合っているが、それを解きほぐすのは容易ではない。2008年頃より京都の障害女性とともに差別禁止条例をつくる運動に参加してきた、その過程で考えたことについて。