ふぇみ・ゼミ企画 特別連続講座「3つの場所のフェミニズム」vol.0
北京LGBTセンター事務局長・辛穎(Xin Ying)さん講演会
講演タイトル「1995世界女性会議後、中国LGBT運動は野火のように広がった」
2019年4月30日(火・休) 13:30開場 14:00~17:00
東京大学本郷キャンパス経済学研究科棟3階2番教室
資料代 1000円(ふぇみ・ゼミ受講生は無料)
事前申し込みは不要です。
お問い合わせ先 femizemi2017@gmail.com
司会 梁・永山聡子
コメンテーター 飯野由里子、高柳聡子
通訳・コーディネーター 熱田敬子
主催 ジェンダーと多様性をつなぐフェミニズム・ゼミナール~ふぇみ・ゼミ~
共催 東京大学大学院教育学研究科 バリアフリー教育開発研究センター
※講演は中国語です(日中通訳付き)。通訳部分を含む日本語の発言について、PC文字通訳がつきます。託児はありませんがお子様連れも歓迎します。その他配慮が必要な方はお問い合わせください。
講演テーマ:「1995世界女性会議後、中国LGBT運動は野火のように広がった」
1995年北京の懐柔で、第4回世界女性会議が開かれ、189カ国と地区の代表、国連各機関と専門団体、また政府間組織とNGOの体表など、1.7万人が参加した。
95年の世界女性会議の後、NGOの存在が中国市民に認識され始める。そして、「ジェンダー主流化」の概念もまた、中国に入ってきた。
その頃中国では、同性愛は未だに非犯罪化されておらず(1)、病気とされていた(2)。第4回世界女性会議上で、全世界から300人以上のレズビアンが懐柔に集まり、NGOフォーラムの中で「ララ(拉拉)・テント」が承認された(訳注:「ララ(拉拉)」はレズビアン・バイセクシュアル・トランス女性など、女性のセクシュアルマイノリティの総称)。これは中国のララ・コミュニティと、国際的なララ・コミュニティの初めてのつながりでもあった。世界女性会議の後、北京のララ・コミュニティは組織化をはじめ、バーや個人の住宅で小規模な集まりを開催した。こうして、規模は小さいながら、徐々に一つのコミュニティが形成されていく。1997年、中国で初めての同性愛者コミュニティのホットライン99575が成立、同年中国で初めてのララ団体、シスターズ・グループ(姐妹小組)も立ちあがった。初期のララ運動は、一貫してフェミニストの積極的な参加と支持を得ていた。
それでは、95年世界女性会議の後、中国のLGBT運動はどのように発展し、また女性運動の発展とどのように関係していたのだろうか?
北京LGBTセンター事務局長の辛頴が、北京LGBTセンター発展の歴史的文脈から、中国LGBTの権利の発展と現状、中国LGBT運動とフェミニズム運動の関係について紹介する。
(1)1979年の「中華人民共和国刑法」は同性の性行為を治安紊乱罪(流氓罪)としていた。1997年の刑法改正で鶏姦罪を含む治安紊乱罪は撤廃された。
(2)1989年の「中国精神病分類・診断基準マニュアル(中国精神疾病分?和?断?准)第二版」では、同性愛は「性変態」の範囲に入れられている。2001年の第三版で同性愛はマニュアルから削除されたが、依然として「自己否定と、同性愛、両性愛」の記述は残っている。
辛頴プロフィール:
北京LGBTセンター事務局長、中国民間女性映画祭共同創始者。ジェンダー領域で9年間アドボカシーアクションを行ってきた。2012-2015年の間、反DV運動、ジェンダーに基づく教育差別反対運動など、女性の権利擁護アクションにも頻繁に参加した。2012年に北京LGBTセンターに就職し、国際的影響力のあるアドボカシー、研究調査プロジェクトの企画・提案を主導した。2016、2017年にそれぞれ「性指向、性自認、性別表現に基づく差別状況調査」「中国トランスジェンダー・レポート」の研究を実施し、国内外のメディアに多く報道された。研究成果は国内外の学術雑誌に発表している。2012年には、中国LGBTアライカウンセラー・トレーニングをスタートし、現在まで中国各地で18のトレーニングを行い、中国30都市をカバーした。中国LGBT組織の代表として、世界銀行、国連ニューヨーク本部での国際会議などに出席した経験が豊富である。
北京LGBTセンター事務局長・辛穎(Xin Ying)さん講演会
講演タイトル「1995世界女性会議後、中国LGBT運動は野火のように広がった」
2019年4月30日(火・休) 13:30開場 14:00~17:00
東京大学本郷キャンパス経済学研究科棟3階2番教室
資料代 1000円(ふぇみ・ゼミ受講生は無料)
事前申し込みは不要です。
お問い合わせ先 femizemi2017@gmail.com
司会 梁・永山聡子
コメンテーター 飯野由里子、高柳聡子
通訳・コーディネーター 熱田敬子
主催 ジェンダーと多様性をつなぐフェミニズム・ゼミナール~ふぇみ・ゼミ~
共催 東京大学大学院教育学研究科 バリアフリー教育開発研究センター
※講演は中国語です(日中通訳付き)。通訳部分を含む日本語の発言について、PC文字通訳がつきます。託児はありませんがお子様連れも歓迎します。その他配慮が必要な方はお問い合わせください。
講演テーマ:「1995世界女性会議後、中国LGBT運動は野火のように広がった」
1995年北京の懐柔で、第4回世界女性会議が開かれ、189カ国と地区の代表、国連各機関と専門団体、また政府間組織とNGOの体表など、1.7万人が参加した。
95年の世界女性会議の後、NGOの存在が中国市民に認識され始める。そして、「ジェンダー主流化」の概念もまた、中国に入ってきた。
その頃中国では、同性愛は未だに非犯罪化されておらず(1)、病気とされていた(2)。第4回世界女性会議上で、全世界から300人以上のレズビアンが懐柔に集まり、NGOフォーラムの中で「ララ(拉拉)・テント」が承認された(訳注:「ララ(拉拉)」はレズビアン・バイセクシュアル・トランス女性など、女性のセクシュアルマイノリティの総称)。これは中国のララ・コミュニティと、国際的なララ・コミュニティの初めてのつながりでもあった。世界女性会議の後、北京のララ・コミュニティは組織化をはじめ、バーや個人の住宅で小規模な集まりを開催した。こうして、規模は小さいながら、徐々に一つのコミュニティが形成されていく。1997年、中国で初めての同性愛者コミュニティのホットライン99575が成立、同年中国で初めてのララ団体、シスターズ・グループ(姐妹小組)も立ちあがった。初期のララ運動は、一貫してフェミニストの積極的な参加と支持を得ていた。
それでは、95年世界女性会議の後、中国のLGBT運動はどのように発展し、また女性運動の発展とどのように関係していたのだろうか?
北京LGBTセンター事務局長の辛頴が、北京LGBTセンター発展の歴史的文脈から、中国LGBTの権利の発展と現状、中国LGBT運動とフェミニズム運動の関係について紹介する。
(1)1979年の「中華人民共和国刑法」は同性の性行為を治安紊乱罪(流氓罪)としていた。1997年の刑法改正で鶏姦罪を含む治安紊乱罪は撤廃された。
(2)1989年の「中国精神病分類・診断基準マニュアル(中国精神疾病分?和?断?准)第二版」では、同性愛は「性変態」の範囲に入れられている。2001年の第三版で同性愛はマニュアルから削除されたが、依然として「自己否定と、同性愛、両性愛」の記述は残っている。
北京LGBTセンターwebサイト
辛頴プロフィール:
北京LGBTセンター事務局長、中国民間女性映画祭共同創始者。ジェンダー領域で9年間アドボカシーアクションを行ってきた。2012-2015年の間、反DV運動、ジェンダーに基づく教育差別反対運動など、女性の権利擁護アクションにも頻繁に参加した。2012年に北京LGBTセンターに就職し、国際的影響力のあるアドボカシー、研究調査プロジェクトの企画・提案を主導した。2016、2017年にそれぞれ「性指向、性自認、性別表現に基づく差別状況調査」「中国トランスジェンダー・レポート」の研究を実施し、国内外のメディアに多く報道された。研究成果は国内外の学術雑誌に発表している。2012年には、中国LGBTアライカウンセラー・トレーニングをスタートし、現在まで中国各地で18のトレーニングを行い、中国30都市をカバーした。中国LGBT組織の代表として、世界銀行、国連ニューヨーク本部での国際会議などに出席した経験が豊富である。